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私はいつも2、3歩誰かに遅れて生きてる
「明日どうにか行きていくために 今日の私達は目先のことだけ考える」ー 東京タラレバ娘
5.11
近頃は懐かしい気候で、湿気とからりとした風が同居している。乾いた、足を伸してみれば冷たかったシーツの感触を思い出す。去年のこの季節は恋人とラブホテルを渡り歩いていた。
空調の効いた室内は空気清浄機が作動していて、シーツはよそよそしく清潔だった。梅雨から、世間から、21歳や22歳を追い込もうとする全てのことがらから私達は逃避していた。
あの季節の匂い、夏の気配、雨上がりの空気を吸い込む彼の窓際の影は何はともあれ美しかった。
私は今迷いながらも落ち着いて仕事をしていて、それ故の困難や憂鬱にぶちあたっているけれど、時にぐっとあの季節に引き戻される匂いを街中で嗅ぐ。そうするともう、東京に出たくて、たまらなくなる。新宿のネオンを瞳から吸収したくてたまらなくなる。
早朝の車の音、まだ少しつめたく霧がかった空気を私は忘れないし、これからどんなにつまらない人間になってしまったとしても、思い出すことくらいはできるだろう。
時間は一直線ではないはずだと思うし、そう思いたい。同じように人間関係も。
彼とは恋愛関係に無くなってしまったが、彼とでしか分かり合えなかったことは今までも、これからも宝物のように残り続けるのだろう。
永遠なんて陳腐なワードだけれど、色彩や嗅覚や手のひらの感触に残る、生きていることをだれかと共有していたことの美しさが2015年5月の新宿に存在していたことは紛れも無い事実だろう。
なんてセンチメンタル。はやく仕事やめたいな。
大人にならずに死ぬなんてつまらんじゃないか。せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高い所からこの世を見下ろすような一夜があって。死ぬならそれからでいいじゃないか。そうだろ。ちがうかい?
人生から飛び出すためには、まず人生にふれる必要があるのよ。
8.26
本当に高校生ぶりと言っていいくらい久しぶりに、朝の町に出た。霧がかった冷たい空気が陰鬱だった。
先週からの咳は止まらない。病院に向かう途中、普段の私の生活なら出会うべくもない顔色の悪い人々とすれ違った。
化粧っ気のない女性、眠気のとれないサラリーマン。気だるそうな女子高生。
生活に擦り切れて疲れ切った人々。
待合室は子どもと老人で溢れていた。外はこんなに殺伐として、皆が別個の目的へ嫌々向かっているというのに。吹雪いてばかりの国の地下室に暖炉が燃えているような不思議さと似ていた。
そこかしこにウソのように人は暮らしている。本当にこの人たちは実在するのかと、冬の淡い朝はいつも違和感にとらわれていたことを思い出した。
人間は自分の姿というものが漸次よく見えて来るにつれて、自己をあまり語らない様になって来る。これを一般に人間が成熟して来ると言うのである。
8.24
秋の夕暮れは小学校の帰り道を思い出す。落ち葉と冷え出したコンクリートの匂いに急に心細くなって家路を急いだものだった。あの急いだ先に待っていた場所も、人も、愛情も今はない。
車窓から見えるマンションのひと部屋ずつの明かりは温かいけれど、決して私という余所者を内に入れようとはしないところで厳然としている。私はこのことに恐怖する。けれど他人はその灯りを「綺麗だ」と言う。
ひとの持つ記憶や、それに付随していたはずの数多の感受性はそのうちの殆どは忘れ去られて、ほんのひと握りだけが絵画や小説や戯曲その他芸術活動に昇華されて社会的に優れたものとされる。けれどもそのうつくしいものたちはそこらじゅうに居る人々の心のなかに毎日宿っている。感受性に優劣がつくのは何故か。表現する才能を持つか否か?いいえ、あの匂い、色、感じを汲み取れる人間は全員ではないのだと、それだけは無根拠に、それでも確実なことに私には思える。
秋の始まりだからナーバスになっているんだよといった類のことしか心理学は述べず、就活のうまくいかないことも体調が悪いことも手伝っているんでしょうとことも無さ気に言う。
オレンジ色に灯りだした家々の窓にほろほろと涙がこぼれる訳を精神科学だの心理学だのに言及されたくはないのです。三億円手に入れば、就職が決まれば大丈夫だと確かに全うな意見に直ぐリーチできる男性的見地にも理解の及ばないところで私は苦しんでいるのです。
誰にも立ち入ることの不可能な心の曖昧模糊としたゾーンのことを女性的、非論理的というならばそれはなんて寂しいことなんだろう。そして何者にもなれなかった私のこの感受性もやはり、何者にもならずに私と共に滅びる運命にある。そのことも悲しくて、人が他人を求めるのは、滅びぬように、自分という人間の生きた証が滅びぬようにという無上の自己愛の延長線なのではないかと思えるのです。
5.20
ドロドロの顔と精神で東西線に乗り込む。 バイトの私はスーツ姿、就活生たちもスーツスタイルで親近感からか時おり目が合う。そのたびに真っ赤なあたしの鞄に目を丸くされる。
東南アジア系の一家の座った座席の前には誰も立たない。 四人家族は目をキョロキョロさせて不安そうに行き過ぎてゆく駅名を眺める。東京の冷たさにしてやられたように、はじめての病に悩むように。
全員教師を詰っていたあの高校にやって来たインドの転校生が2日で机に伏せるようになったことを思い出した。もしくは、無法地帯にある中学校に配属されたアメリカ人教師が理解できないものたちを見る視線を。
目の前に座る彼が立った。滑り込むように腰を降ろすと、けだるい南国の匂いがした。